カテゴリ: 不妊治療からの死産

死産からはとにかく長女の為に過ごしてきました。
死産の時もずっと初期から入院し、実両親に預けていたので、相当我慢させてたと思う。
まだ保育園に行く3歳児。
可愛い可愛い盛りで、その時の秋冬を一緒に過ごしてあげられなかった事。

それなのにママも責めずに
頑張ったねと言ってくれた長女。

私の宝物です。
この子がいなかったら、私は多分やっていけてない。
死産後、後追いしてた可能性だってある。

周りからは1人いるんだからまだいいじゃん。
次は大丈夫だよ。
私より若いんだから。

なんて、心ない言葉を言ってくる人もいました。
そんな人との付き合いは浅いだけの関係で、何も知らないくせに、という言葉を飲み込み、愛想笑いで返すしかなかった。


死産した時に、姿形は人間で顔も主人に似て立派な眉毛の男の子でした。
ただ皮膚の状態が粘膜?とまではいかないけれど、赤黒い感じで、長女が見たらビックリするだろうなと思っていました。

気持ち悪いって言うかな?
宇宙人みたいって言うかな?

なんて、主人と言ってました。

実両親と一緒に長女が病院にやってきて、ご対面。

ビックリする様子もなく、何の迷いもなく、
息子のホッペを優しくぷにぷに触ったのです。
それには、私も主人も、実両親も、立ち会ってくれた助産師さんもビックリしました。

かわいいね〜
でも、ちょっと出てくるのが早かったんだね。
早く会いたかったんじゃない?

って。

3歳児がそんな事言えるんだと驚きしかなかったです。

迷いもなく、

抱っこしたいよ

と言うので、抱っこさせてあげると、嬉しそうに、お姉ちゃんだよ〜と。
もちろん赤ちゃんからの反応はないのに、ずっと話しかけたり、触ったり。

なんて優しい子に育ってくれたんだろうと、
涙が止まりませんでした。

死産してからは、とにかく誰にも会いたくなかった。

妊婦さんも新生児をみるのも辛かったです。
特に、上の子と同じぐらいの子がいて、さらに本来なら産まれてたであろう息子と同じぐらいの赤ちゃんを連れている人がどうしても受け入れられなくなった。

誰が悪いわけじゃないのに、辛い。
悲しい。
涙が止まらない。


実際に私の友達にも長女と同じぐらいで、2人目を同じタイミングで妊娠した人が多く、余計に辛かった。
もちろん、同じような辛さを味わって欲しいなんて思った事ないけど、やっぱり辛かった。

こればっかりは、時間薬なのかな。

半年経ってもまだまだ受け入れられない。

その子達は私に遠慮して出産報告もしてくれなくて、SNSで知るのも同情されてるようで嫌だった。

ダークな感情がずっと離れなくて、そんな自分も嫌で嫌でしょうがない。

市役所へ死産届けを出し、火葬手続きをし、火葬は死産の2日後に行う事になりました。

赤ちゃんは病院で冷やされて保管されていました。

最後に会う頃には冷たくて、冷たくて、
生んだ時とは違って、皮膚の色が黒く、

ああ、生きてないんだな。

と改めて感じました。


やっぱり会うと、どうしてもなぜこんな事になってしまったのか、

原因はなんだったのか。


知りたくなるのは当然です。


でも、分からないんです。

結局のところ、こんなに医学が発達していても、これが一番の原因というものが分からないそうです。


死産後、胎盤やら色んなものの検査をしてもらうのですが、後々発覚したのは、

臍帯炎がレベル3、感染症もレベル3ということ。

どちらもマックスのレベル3になるとこは珍しいとの事でした。

じゃー、それを防ぐにはどうしたらいいのか?

それが分からないんです。

なぜそうなったのか。

私自身、7週頃から妊娠悪阻と切迫流産で入院して、大病院にて管理されていたから他の妊婦さんより、気を付けてたり、検診も多かったのに。

先生も何も言ってくれない。

お母さんのせいじゃない。

それだけしか言ってくれない。

私のせいじゃなければ、誰のせいなの?

何を気をつければこうならなかったの?

明確に教えて欲しい。

でも、今の医学じゃ解明できないことがいっぱいあるんだそうです。


1時間弱程、赤ちゃんと最後のお別れをし、木箱に入れてサヨナラしました。

そのまま火葬場へ行き、あっとゆーまでした。

その時も後陣痛が酷く、痛み止めをのんでなんとか歩いてって感じでした。

煙になってお空へ消えていく赤ちゃん。

もう抱くことのできない赤ちゃん。

5ヶ月だけだけど、お腹にいた赤ちゃん。

どうしても生きて会いたかった。

私を選んできてくれたのに、生きて産んであげられなかった。

ゴメンね。

お空に行っても、私の赤ちゃんには変わりないよ。

火葬は1時間もかからずに終わりました。

小さいからあっとゆーまなんですね。

火葬場の人が言っていましたが、赤ちゃんの骨は残りにくいそうです。

でも午前中に火葬したので、火葬場が暖め過ぎておらず、運良く骨が残った方だと言われました。

一つずつ、丁寧に拾いました。




主人が、赤ちゃんには太陽と名付けてくれました。

娘もその名前を気に入ってくれています。

最初名前をつけると余計辛くなりそうな気がしてましたが、今となっては良かったと思っています。

毎日遺骨に手を合わせ、娘は

太陽、おはよう!

太陽、おやすみ!

と言ってくれます。


その姿を見るだけで、涙がこみ上げてくるけど、娘の優しさがとても心に染みました。

お姉ちゃんにしてあげたかった。

あれだけ待ち望んでいた弟だったのに。

それから胎盤の剥がれが悪く、掻き出されたりと出産後も痛い思いをしないといけないのか…

という思いとともに、

もうお腹の中には赤ちゃんがいないんだという事実を突きつけられる。


会いたくて、
会いたくてたまらなかった赤ちゃんは、
お空へ旅立ちました。

本当だったら出産当日はまだ入院で、次の日以降に退院になるのですが、主人の仕事の都合もあり、当日に退院しました。

後陣痛もあり、歩くのもままならない。

でも、赤ちゃんを火葬してあげないといけない。

天国へ見送ってあげないと。

痛み止めを飲みながら、死産届けや火葬場への連絡・予約など、主人ができる事はやって貰ってことを進めなければいけません。

羊膜破裂し、羊水も完全に出てしまって後は赤ちゃんが出てくるのみ。

それでもなかなか出てきません。

陣痛のタイミングで力んでも出てきません。

出たくなかったのかな?
生きたかったのかな?

そんな思いをよぎらせながら頑張りましたがどうもダメで…

真夜中ということもあり、
一旦病室へ。

強い陣痛がきたらまた再開しましょう。

と言われて助産師さんが出ていかれてすぐまた強い陣痛が。

やっぱり我慢できず、ナースコール。

再度すぐ分娩台へ。

それから1時間後、頑張って、頑張って

出産しました。

出てきた赤ちゃんは、肌は粘膜のような赤黒かったです。

でもしっかりと、手足もあり、顔もあり、眉毛だってパパ似のしっかりとした眉毛でした。

分娩台に乗ったまま、少し処置をしてもらい抱かせてもらいました。

その時、主人も抱いた時に初めての涙を見た気がします。

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